友達と過ごしていると楽しいのですが、いつも聞き役で疲れてしまいます。友達なのでできるだけ話を聞いてあげたいと思うのですが、気が重いです。
内容を入力してください。私もいつも聞き役でした。
話を聞いてばかりいると疲れてしまいますよね。でも、それって本当に友達と言えますか?
私も友達だから少しでも力になりたいと夜遅くの電話に応じ、話を聞いた事があります。そんなに都合も考えずに話しくるその人は私の友達と言えるのでしょうか・・・
道徳に忠実なHSP
みんなと仲良くするべき
なぜかわからないのですが、私は世間の固定観念というのか小学校などで習う道徳の様な教えを
守らなければならないと感じている事があります
みんなで仲良くね。嫌いな人とでも仲良くしなければいけないよ。困っている人は助けてあげなきゃね。
「〜するべき」「〜しなければならない」「〜してあげなきゃ」このような「常識的と思われる考えに縛られて行動している」ことがありました。
心の中にいる私自身の声以上にこの「常識的と思われる声」は大きな声で私に指示をします。
なんなんでしょうか?また私自身の声は押し込められています。
私自身ではなく仮面をかぶったいわゆるいい人になるのです。
いわゆるいい人に集まる友達
仮面をかぶっていわゆるいい人になってしまっていると、その仮面に見合う友達が集まってきます。
なぜか、「いい人と思われそうな人」を演じてしまって疲れているのに断れなかったり、疲れていない振りをしてしまいます。
当然ストレスも溜まるしかなり疲れてます。
その友達が悪いと言うわけではありません。
私自身の心の声に耳を傾けず自分自身に対して小さな嘘を積み上げて、自分の事をないがしろにしている事が原因です。
友達なんだから何でも受け入れるのが当たり前
友達なんだから話くらい聞いてくれてもいいじゃない。
「いい人と思われそうな人」を演じている私は親身に聞きます。
なんとなく「友達なんだから何でも受け入れるのが当たり前」と言われている気がしました。
結果
甘えがエスカレートして行き、時間、場所かまわず愚痴をこぼす様になっていきます。さらに、人の話は聞かず自分だけが愚痴ったり話しまくる様な人になっていきます。
辛かった。相手に対する正解を探すのが得意な私が作りだしたこの状況は、私にとって全く正解ではありませんでした。
何度も言いますが、甘えとはいえ、時間や場所をかまわず話しまくり、誰かを愚痴のゴミ箱にしている様な人は本当に友達と言えますか?
「自分が少し疲れたくらいどうって事ない」
しかしHSPはまだ頑張ります。やっと声をあげた自分を押し込めます。
「自分が少し疲れたくらいどうってことない」
もういいのではないでしょうか?
必要以上に自分の時間を無駄に搾取され、疲労もする。
十分嫌いになっていいレベルです。
理想の友達という幻想は捨てよう
【「みんな仲良く」と言う重圧に苦しんでいる人へ】
1冊の本を紹介します。私も読みました。「私を丸ごと受け入れてくれる人がきっといる」という幻想の中に真の親しさは得られない。人間関係の根本から見直す、実用的社会学の本です。人との距離感に悩んでいるならば読んでみる価値はあると思います。
いい友達って何?
仮面をかぶって疲れながら、その「いい友達」とずっと付き合う事ができますか?無理し続けることをができますか?私は出来ませんでした。
無理をしていたり、甘えすぎていたりしては「いい友達」とは言えないと思います。
しかし、いい友達とは何でしょうか?私は本来の自分のままで適度な気遣いが出来る友達関係こそ大切にするべき良い関係だと思います。みなさんは、どう思いますか?
良いことも悪いことも共有できるという幻想を捨てる
私は友達と良いことも悪いことも全部共有することは難しく感じています。それを共有できるのは家族だけかもしれません。場合によっては家族も無理かもしれません。
人同士の関係ですから親しくしていれば何らかの感情が生まれます、必ずしも美しい感情ばかりではないと思います。嫉妬や恨みも少しのすれ違い勘違いで簡単に生まれます。
私は、友達とは共通の良いことだけ共有する様にしています。良いことの共有をしていった方がお互い良い関係で居れる気がします。
ここで私が言う良いこととは、お互いが元気が出ることややる気が出るようなポジティブなことです。
悲しい出来事や辛い出来事ばかり聞いたり話したり愚痴を言ったり、特にHSPはそう簡単に流せません。時間もかかるし疲れてしまいます。
友達とは共通の良いことだけ共有する
良いことも悪いことも共有できるという幻想を捨て、マイナスな感情に引っ張られる時間は極力なくした方が楽です。
自分自身のままで、「共通の良いことをポジティブに共有できる友達」を目指してみることがおすすめです。
HSPのあなたへ
人を嫌いになってもいい
友達関係で悩んだことも、自分自身を押し込めて付き合ってきた経験も多いと思います。
本当の自分がしっかりと心に存在すれば、HSPである私は付き合うのが危険な人、嫌な人や合わなそうな人というのは早い段階で気がついたりします。
しかしなぜ、上記の様な事になってしまうのでしょうか?
人を見かけや第一印象で判断してはいけないよ。
嫌だとかキライとか合わないと感じてはいけないという気持ちになってしまい、そう感じた自分を否定して無視してしまう事がありました。
HSPの場合は自分の感覚を大切にした方がうまくいく気がします。
みんなと仲良くするべきとか少しは我慢するべきといった目に見えない意見に流される必要はありません。
人を嫌いになってもいいのです。付き合いたくない人とは付き合わなくていいのです。
自分を大切にして
まず自分を大切にし自分の感覚を健全に保ち信用することでだいぶ楽になります。
HSPである自分自身の危険察知能力を素直に受け入れることで、
そして、適切な取捨選択をする事で過ごしやすくなると思います。
何度も言いますが本来、HSPのあなたなら誰よりも適切な取捨選択ができるはずです。
HSPの能力は自分を大切にし自由に生きるために備わっている
自分の人生の限られた時間を自分自身が適切に選択し自由に生きていくのです。
道徳的で優しいあなたはあなたのものです。何にも流されない事が望ましいです。
これからはより自分のために自由に楽しく生きましょう。
そのためにHSPの能力があなたに備わっているのです。
そして、そうする事で今まで以上に周りを幸せに出来るのではないでしょうか。
最後まで読んでいただきありがとうございます。HSPについて書いてみると自分でも自分に気づくことがあります。自分のためにももう少しHSPあるあるを続けたいと思います。フォローやチェックして頂けたらさらに励みになります。
ではまた次のブログ記事でお会いしましょう
SNSやブログを開設して、あなたのストーリーを発信してみませんか?あなたの体験談で今悩んでいるHSPの方が救われるかもしれません。
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